ダブリンの見どころ<北界隈・オコンネル通りとその界隈(1)>
DUBLIN


O'Connell Street and Around
オコンネル通りとその界隈
メインストリート、オコンネル通りは20世紀の始めアイルランド独立の戦いの舞台となり、多くの建物に現在もその傷跡を見ることができる。21世紀を迎え新しいランドマークとなった「スパイヤ」は現在変わりつつあるダブリンの力強さと意気込みを象徴している。


O'Connell Street
オコンネル通り (62)

ダブリン北界隈の主軸、オコンネル通りは、1749年にルーク・ガーディナーが、この周辺の土地を所有していたヘンリー・ムーア(ドロエダ伯爵)から買い取り、大がかりな開発が始められた。
最初は高級住宅街スクエアの建築が進められていたが、1794年に建築家ジェームス・ガンドンがカーライル橋(現オコンネル橋)を完成させると、それに伴ってメインストリートがケイペル通り(Capel St.)からドロエダ通り(現オコンネル通り)に移行することとなり、道幅の広い通りが作られることとなった。現在の3分の1ほどだった道幅を45mに広げ、当時ヨーロッパでもっとも広い通りとなり、英国の総督の名前からサックビル通りと名付けられた。中央の歩道はドロエダ通り当時のもの。かつては鉄の手すりがあり街路樹やランプが並べられていた。

1762年にルーク・ガーディナーのライバル業者フィッツウイリアム卿が当時未開拓だったリフィー川南界隈の開発を開始し、北界隈より広い土地が安く手に入ることから、貴族や議員が競うように私邸を建て、南界隈が急速に発展、逆にサックビル通りは徐々に衰退していった。さらにアイルランド経済に大打撃をもたらした1800年の合邦法(アクトオブユニオン)により、この通りに住んでいた貴族や政治家はロンドンに引っ越して行かざるを得なかった。ほとんどのタウンハウスは空き家となり、賃貸住宅や多くはホテルに改装された
*

1882年にリフィー川沿いにオコンネルの像が建つと、カーライル橋も広げられ、名前が「オコンネル橋」と変わった。やがてサックビル通りもダブリン子によって「オコンネル通り」と呼ばれるようになり、1924年正式に「オコンネル通り」となった。
1916年のイースター蜂起、そして1922年の内戦でオコンネル通りの建物はほとんどが壊され修復されたが、今日も銃弾の跡を残す建物も少なくない。
今日、オコンネル通りはバスが行き交いホテルやデパート、本屋やファストフード店が立ち並ぶにぎやかな通りとなり、サックビル通りが作られた当時の高級住宅街の優雅な面影はほとんど残されていない。しかし新しく通りの中央に設置された空に向って伸びる「光りのモニュメント/スパイヤ」には21世紀にますます発展するであろうダブリンの勢いが感じられる。



オコンエル通り
■アクセス:トリニティカレッジから徒歩約5分


ダブリンバスツアー(観光ツアー一覧のページ参照)
64. ダブリンバス 本部




*当時のまま残されているホテル:63.『ロイヤルダブリンホテル』(1752)、67.『グレシャムホテル』(1817)。

■オコンネル通りに並ぶ像とモニュメント■

ダニエル ・オコンネル像(Daniel O'Connell / 1775〜1847)
リフィー川に向かい、オコンネル通りの中央に立つ威風堂々とした像は「解放者」と呼ばれたダニエル ・オコンネル。弁護士であったオコンネルは1823年カトリック教徒に対して法のもとで解放運動を展開し、1829年平和的にカトリックに議席を与え、公職に就くことを認めるカトリック解放法の成立をかちとった。1841年にはカトリック初のダブリン市長となった。

ウィリアム・スミス・オブライエン像(William Smith O'Brien / 1803〜1864)
青年アイルランド党のリーダーで、アイルランド人による政府を樹立するため1848年に蜂起を決行した。

ジョン・グレイ像(Sir John Gray / 1816〜1875)
オコンネルの政治運動をサポートする「フリーマンズジャーナル」の発行者。1852年にダブリン市議会の議員に選ばれ、水道局の理事になりウィックローのバートリー川の流れを変えてダブリンに飲料水を供給した。

ジム・ラーキン像(Jim Larkin / 1876〜1947)
1909年にアイルランドで最初の全国労働組合を設立し、1912年の労働党の立ち上げに協力した。1913年のロックアウトストライキの際に、インペリアルホテル(現クレリーデパート)のバルコニーから群衆にむかって雄弁なスピーチを行った。変装しダブリンの労働者を率いてデモを行ったが数分後に警官に捕えられ、その際何百人もの負傷者がでた。

122. モニュメントオブライト/光りのモニュメント(Monument of Light)
ステンレス製で土台の直径が3メートル、長さ120メートル、先が10センチの円錐型で先端部分が光りを発し、「光りのモニュメント」または「スパイヤ」と呼ばれる。ロンドンの建築家イアン・リッチーの設計で2001年に着工、2003年1月に先端部分を取り付けて完成した。賛否両論あるが、すでにダブリンの新しいランドマークとして定着しつつある。

ジェームズ・ジョイス像(James Joyce / 1882〜1941)
アイルランドを代表する作家の1人。1922年の作品『ユリシーズ』はダブリンを世界的に有名にした。

マシュー神父像(Father Matthew / 1790〜1861)
「禁酒主義の使徒」マシュー神父。1838年、当時800万人のアイルランド人のうち500万人に絶対禁酒主義を誓わせて、ウイスキーの生産量を2分の1に減らした。

チャールズ・スチュワート・パーネル像(Charles Stewart Parnell Monument / 1846〜1891)
パーネルはアングロアイリッシュのプロテスタント家族出身であったがアイルランド自治党を結成し、1879年、土地同盟からアイルランドの政治的独立をめざして新しい農民運動を展開した

「光りのモニュメント」が建つ位置にはかつてネルソン総督の記念碑があった。1808年に建てられ40メートルの高さで、ダブリンのランドマークとして、また円柱の内部に階段があり展望台としても利用されていた。アイルランド独立後も英国の帝国主義のシンボルとしてオコンネル通りにあったが、ダブリン子に嫌われ何度も壊されかける憂き目にあった。イースター蜂起の50周年を目前とした1966年3月のある雨の朝、台座を残してネルソン像は遂に爆破された。



The Abbey Theatre
アビー座 (65)

アビー座の前身は1899年にW・B・イエーツとダグラス・ハイドが設立したアイルランド文学協会で、アビー通りにあった物置きをグレゴリー婦人が買い取り、1904年12月にイエーツとグレゴリー婦人が座長となってアイルランド国立劇場(アビー座)がオープンした。J・M・シング、イエーツ、ショーン・オケイシーなど当時のアイルランド演劇界の奇才の作品の初演を行い、数々の論争や騒動を引き起こした。

アビー座は1951年に火災で消失、再建までピアース通りのクイーン座で公演を続け、ようやく1966年、政府の資金提供で建築家マイケル・スコットの設計による新しいアビー座が完成した。1989年には正面にポルチコとバルコニーが加えられた。ロビーやバーにはこの劇場に携わった人々の肖像が飾られている。
現在はアビー座と小劇場のクジャク座(Peacock Theatre)があり、アビー座ではブライアン・フリエルやフランク・マクギネスのようなアイルランドの古典や若手の作品を発表する劇場として、クジャク座では実験的な演劇を行うとともにワークショップなどを開催し、才能のある若い世代の劇作家を育成している。

アビー座
Lower Abbey St., Dublin 1
TEL: 01-8787222
http://www.abbey
theatre.ie
■アビー座上演:月〜土曜日20:00〜/土曜日マチネ14:30〜
ピーコック座上演:月〜土曜日20:15〜/土曜日マチネ14:45〜
■アクセス:トリニティカレッジから徒歩約8分
■料金:アビー座15.00ユーロ〜30.00ユーロ/マチネ12.50ユーロ/曜日によって学割あり
■木曜日に館内ツアーあり。アビー座にお問い合わせください。

1907年に上演されたシングの悲喜劇「西の国の伊達男」(Playboy of the Western World)は批評をめぐって乱闘騒ぎとなり500人の警官が出動した。また1926年にはショーン・オケイシーの「鋤と星」(The Plough and the Stars)はアイルランド自由国の旗を売春婦の集まるパブに掲げたことで凄まじい論争となった。


The Custom House
カスタムハウス (84)

リフィー川に面して建つ美しいジョージ王朝建築のカスタムハウスは、ジェームス・ガンドンが設計し1791年に完成した。ドーリア式の柱と青いドームの上に立つ「商業の女神」の像が過去200年間ダブリンの河岸を見守り続けている。均整のとれた優雅な姿は対岸から眺めるのがお勧め。夜にはライトアップされ、川面に美しく映し出される。
建物正面にはさまざまな彫刻が施され、それぞれに意図が込められている。切妻の彫刻はハイバーニア(アイルランドを表わす)とブリタニアン(英国を表わす)が仲良く肩を並べ、その横で海の神ネプチューンが飢饉と絶望を追い払う。屋根の上の4体の像は海の神ネプチューン(Neptune)、商売の神マーキュリー(Mercury)、産業を象徴するインダストリー(Industry)、豊富さを象徴するプレンティ(Plenty)。また入口や窓のアーチの上にはエドワード・スミスによる、アイルランドの川と大西洋を擬人化した14の神が描かれている(リフィー川だけが女神)。

18世紀始め、カスタムハウスは川の南側のエセックスキー(Essex Quay)にあったが船の停泊が困難であったため、新しいカスタム
ハウスを川の北側のエデンキー(Eden Quay)に建築することになった。移転にはエセックスキー周辺の土地所有者や商人からの猛反対があったが、1781年8月、基礎工事が密かに始められた。工事に反対する人々が建築を度々妨害し、ガンドン自身も現場に立つ時は剣を身につけていた。エデンキーが干潟のため土台作りは困難を究めたが、10年の年月を要して遂に美しいカスタムハウスが完成した。建築には予定をはるかに超えた20万ポンドが費やされた。
しかし、完成からわずか9年後の1800年に合邦法(アクトオブユニオン)が可決され、徴税も税関業務もロンドンに移されることになり、カスタムハウスは役割を失い放置された。

1921年、シン・フェーン党が選挙で圧勝した時、その支持者が当時ダブリンの地方議会所であったカスタムハウスを英国の帝国主義の象徴として建物に火を放った。5日間燃え続け、建物の大部分が焼け落ち、大量の書類や公文書も失われた。1926年に5年の歳月と30万ポンドをかけて再建が行われたが、再び破損が進み、1986年から再度大がかりな修理が行われ、1991年にようやく200年前の美しい姿を取り戻した。現在はアイルランド政府の事務所となっている。

85. ダブリン中央バスステーション(Busaras)
カスタムハウスの後方にある中央バスステーションの建物は1953年、建築家マイケル・スコットの設計で建てられ、ダブリンにおける近代建築スタイルの初期のもの。

86. イーストリンクトゥールブリッジ(East Link Toll Bridge)
船が通る時に橋が上がる。その横にあるザ・ポイント(The Point)は1950年代まで使われていた船のターミナルを改装し1988年にオープンしたダブリン最大のコンサートホール。

カスタムハウス
Custom House Quay, Dublin 1
TEL: 01-8882538
■ビジターセンター開館:3月中旬〜10月 月曜日〜金曜日10:00〜12:30/
土・日曜日・祝日14:00〜17:00
11月〜3月中旬 水〜金曜日10:00〜12:30/
日曜日14:00〜17:00
■アクセス:トリニティカレッジから徒歩約8分
■料金:1.00ユーロ/学生無料
■カフェ/ギフトショップ
■ビジターセンターでは建築家ガンドンの生涯や、設計した建物、カスタムハウスの歴史が紹介されている。

ジェームスガンドン
James Gandon)
ユグノー派のイギリス人建築家。1779年、36才の時にダブリンからカスタムハウスの建築の依頼を受けた際、すでに仕事でサンクトペテルブルグ行きを準備していたが急遽取り止め、1781年ダブリンに赴いた。カスタムハウス、フォーコーツ、カーライル橋(現オコンネル橋)、キングスインを設計し、80才で亡くなるまでアイルランドで過ごした。


ザ・ポイント
East Link Bridge, North Wall Quay, Dublin 1
TEL: 01-8363633
http:// www.thepoint.ie
■アクセス:トリニティカレッジから徒歩約25分/バス(No.53A/BERESFORD PLACEから:NORTH WALL下車)




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