ダブリンの見どころ<南界隈・城壁で囲まれたエリア(1)>
DUBLIN


Site Of Medieval Walled Town
城壁で囲まれたエリア
クライストチャーチを中心にダブリン城とリフィー川に挟まれたこのエリアは、13世紀初めにノルマン人のジョン王が頑丈な壁とタワーで囲み要塞化した。リフィー川の浅瀬で、古くはケルト人とバイキングもこの地に住みダブリンの発祥の地。


Dublin Castle
ダブリン城 (30)

1204年、アングロノルマンのジョン王によってアイルランド支配の拠点としてダブリンに頑丈な石の壁で囲まれた町が作られた時、南東の端に、4隅に強固な陵堡(円形の砦)を持つダブリン城が建てられた。そこは9世紀にバイキングが砦を築いて町を作ったところで、ダブリンが見渡せる高台にあった。
1922年にアイルランド自由国に公式に譲渡されるまで、700年以上にわたってアイルランドにおけるイギリスの支配の象徴的存在であり、何度も襲撃の対象となった。1534年、フィッツジェラルド(Silken Thomas Fitzgerald Henry VIII)の反乱で大砲を浴びて大破し、1560年にヘンリー・シドニー(Sir Henry Sydney)によって新しく総督の邸宅として再建された。1684年に再び火災にあい、建物のほとんどが失われたが、1688年にウイリアム・ロビンソンの設計で再建。さらに18世紀の中ごろには修復が行なわれた。このことにより、さまざまな年代の建物様式が組み合わさった城となり、現在、石造りの円塔であるレコードタワー(Record Tower)のみが建築当初のもので残っている。

1801年の合邦法(アクトオブユニオン)以降、イギリス政府の統治本部となりダブリン市警察と総督の事務所兼居城として利用された。

イギリス総督の住居であったステートアパートメントは1680年から1830年に建築、第一次世界大戦の間は一部は赤十字病院として利用され、現在は、大統領の就任式やEUの国際会議など国の重要な行事に使われている。



1. 王冠の間(Throne Room)
イギリス統治時代に国王を迎えた部屋。ボイン川の戦いに勝利したオレンジ公ウィリアムに贈られたと言われる冠がある。

2. ウエッジウッドの間 (Wedgwood Room)
総督たちがビリヤードに興じた円形の広間。ロイヤルブルーに白の浮き彫り模様を焼きつけたウェッジウッドの陶器そのままの色調の内装が優雅である。

3. バーミンガムタワー(Birmingham Tower)
中世には留置所となっていたタワー。

4. ジョージホール (George's Hall)
1911年に国王ジョージ5世とメアリー女王がダブリンを訪問する際に建築した。これがアイルランドが英国統治下だった最後の国王と女王の訪問であった。

5. セントパトリックスホール(St Patrick's Hall)
青と白と金を基調にしたホール。かつて聖パトリック騎士団のセレモニーを主催し、今日は大統領の就任式がこのホールでとり行われる。天井の絵はイタリア人画家ヴィンツェンツォ・ヴァルドレの作品で、ジョージ3世の戴冠式と、ヘンリー2世がアイルランドのチーフタンズの降伏を受け入れ、聖パトリックがスレンの丘の上で復活祭の火をつけ、その様子を怪しいドルイド僧が見ているという場面を描写している。

6. レコードタワー(Record Tower)
1226年に建てられ、ダブリン城建築当初のもの。留置所として利用され、今日はガルダ(警察)博物館となっている。

7. チャペルロイヤル(Chapel Royal)
レコードタワーに隣接するゴシック建築様式の礼拝堂は、国王、総督とその家族と役人のために、1814年にフランシス・ジョンストンが設計して建てられた。フランスから贈られたステンドグラスや繊細な漆喰や木の装飾があり、1172年から1922年までのすべての英国の総督の紋章が回廊と内陣の壁に刻まれている。

8. 地下遺跡(Undercroft)
ダブリン城建築当初のパウダータワーと石の壁、さらにそれよりも100年以上古いバイキングが築いた石の壁を見学できる。ポドル川を利用して城壁の中へ物資が運ばれたことや、コーナータワーには細い階段があり、その階段がどのように襲撃を阻止できるように作られたかがガイド見学で説明される。地下の水たまりは埋め立てられたポドル川からにじみ出るもので、定期的に汲み上げられている。

9. ベッドフォードタワー(Bedford Tower)
ダブリン城の最初の門の西側にあったタワーの上に、18世紀に建てられた。1907年のエドワード7世とアレクサンドラ女王の公式訪問の4日前にベッドフォードタワーから戴冠式の宝石類が盗まれたが、犯人は捕まらず結局謎のままである。

10. 正義の女神(figure of Justice)
手に釣り合う天秤を持ち正義を表わすが、正面はダブリン城を向き、正義が行われるべきダブリン市には背を向けているため、ダブリン子からは“ダブリン城の中(英国)にしか存在しない正義”と批判されている。

11. ダブ・リンガーデン(Dubh Linn Gardens)
ケルトの模様に芝生が刈られている。ここはリフィー川の支流であったポドル川の岸にできた水たまりがあったところで、それをケルト人がダブ・リン“Dubh linn”(黒い水たまり)と呼んだ。この“黒い水たまり”がダブリンの名前の発祥となった。
ダブリン城
Dame St., Dublin 2
TEL: 01-6777129
http://www.dublincastle.ie
■開館:ガイド付きツアー
月〜金曜日10:00〜17:00/土・日曜日、祝日14:00〜17:00
※2004年はEU会議のためステートアパートメントは見学できません。ツアー見学はチャペルロイヤルと地下遺跡のみ。
■休館:イースター、クリスマス、1月1日
■アクセス:トリニティカレッジから徒歩約8分/バス(No.77、77A、56A/EDEN QUAYから、123/O'CONNELL STREETから他:PALACE STREET GATE下車)
■料金:4.50ユーロ/学生3.50ユーロ
■カフェ/ギフトショップ


ダブリン城は1922年1月16日にアイルランド自由国(Irish Free State) に公式に譲渡された。
最後のイギリス総督が受け渡しに7分遅れて来たマイケル・コリンズに向かって不機嫌に7分間の遅刻を批難した時、マイケル・コリンズ は「我々はこの時を700年間待っていた。7分待つことがどれ程のものと言うのか。」と答えた。



City Hall
ダブリンシティホール (31)

ネオクラシック建築スタイルのダブリンシティホールはトーマス・クーリー*の設計で、ロンドン取引所(Royal Exchange)として1769年から1779年に建てられた。ドームのある円形のエントランスホールにはダニエル・オコンネルとチャールズ・ルーカスの像、床にはモザイクでダブリン市の紋章が描かれている。1801年の合邦法(アクトオブユニオン)以降、ロンドン取引所は閉鎖され建物は使われないまま十数年間放置されていたが、ダブリン市庁が買い取り、1852年9月に市議会を行うシティホールとなった。
イースター蜂起の間、シティホールはアイルランド軍が占拠し、屋根からダブリン城の英国軍を狙撃した。1922年のアイルランド自由国設立時にマイケル・コリンズを代表とする暫定政府の臨時本部となり、また、コリンズと同僚のアーサー・グリフィスの葬儀がここでとり行われた。

ダブリンシティホール・ストーリーオブザキャピタル(Dublin City Hall -The Story of the Capital)は、ダブリンのおよそ1000年の歴史をビデオや写真で紹介する。
ダブリンシティホール
ストーリーオブ
ザキャピタル
Dame St., Dublin 2
TEL: 01-6722204
http://www.dublincity.ie
/cityhall
■開館:月〜土曜日10:00〜17:15/日曜日、祝日14:00〜17:00
■アクセス:トリニティカレッジから徒歩約8分/バス(No.77、77A、56A/EDEN QUAYから、123/O'CONNELL STREETから他:PALACE STREET GATE下車)
■料金:4.00ユーロ/学生2.00ユーロ
■カフェ/ギフトショップ

*ロンドン取引所の建築に際して設計のコンペが行われジェームス・ガンドン(2位)と争いトーマス・クーリーのデザインが採用された。


Chester Beatty Library and Gallery
チェスター・ビーティーライブラリー (32)

大西部の採鉱によって大富豪となったアイリッシュ系アメリカ人、アルフレッド・チェスター・ビーティ氏(1875-1968)が晩年をダブリンで過ごし、遺言によって22,000点以上の中東、中国、東洋、西洋から集めた珍しく貴重な文献や美術品のコレクションをアイルランドへ寄贈した。チェスター・ビーティ氏は巨万の富を築いたが、健康を害したため1910年にエジプトに転地療養に出かけ、その際、東洋美術の収集を始めた。シリア、アルメニア、エジプト、コプトの聖書を題材とした資料、アラブ、イラン、トルコなどイスラム教の色鮮やかなコーランの写本(およそ300点)、パピルスに書かれた2世紀初めから4世紀ころの聖書など見事なコレクションの一部が展示されている。さらに「伊勢物語」の絵巻物、江戸時代の浮世絵の数々、印篭や版画など日本の古美術コレクションも含まれている。

チェスター・ビーティー・ライブラリー
Dublin Castle, Dublin 2
TEL: 01-4070750
http://www.cbl.ie
■開館:5月〜9月 月〜金曜日10:00〜17:00/土曜日11:00〜17:00/日曜日13:00〜17:00
10月〜4月 火〜金曜日10:00〜17:00/土曜日11:00〜17:00/日曜日13:00〜17:00
■休館:10月〜4月の月曜日、イースター、クリスマス、1月1日
■アクセス:トリニティカレッジから徒歩約8分/バス(No.77、77A、56A/EDEN QUAYから、123/O'CONNELL STREETから他:PALACE STREET GATE下車)
■無料
■カフェ/ギフトショップ


Wood Quay and Fishamble Street
ウッドキーと フィッシャンブル通り

33. ウッドキー(Wood Quay)
リフィー川南岸のウッドキー界隈は840年ころにバイキングがダブリンで最初に交易のための港ディフリン(Dyflin)を築いたところ。土の堤防が防御柵として建てられ、1100年ころには石の壁が頑丈に築かれていた。現在シビックオフィス(Civic Offices)が建つ界隈は1970年代の発掘でコイン、骨、櫛、武器、陶器、革製品など大量の遺品が発掘され(国立博物館やダブリニアで展示されている)、ウッドキーにはロングシップの骨組みのオブジェや、おのなどの道具が描かれたパネルが道路に組み込まれている。

34. フィッシャンブル通り(Fishamble Street)
バイキング時代に作られたそのままのフィッシャンブル通りは、名前のとおり過去に魚市があったところ。通りの中ほどにある鉄の扉を覗くと「ヘンデルズメサイア」(Handel's Messiah)と書かれた柱がある。1742年4月13日にクライストチャーチと聖パトリック教会の合同聖歌隊がヘンデルの“メサイア”の初演を行ったところで、このチャリティイベントに700人以上が集まり、より多くの人々が見学することができるように男性は剣を置き、婦人たちは広がったスカートを着用しなかった。歴史に残る感動的なイベントで収益はロタンダ産婦人科病院の建築に使われた。
“メサイア”からの抜粋がイベントの記念日(4月13日)にここで演奏される。
ウッドキーとフィッシャンブル通り
■アクセス:トリニティカレッジから徒歩約10分/バス(No.51B、79、90/ASTON QUAYから:ESSEX QUAY下車)






フィッシャンブル通りは、13才でトリニティカレッジに入学し、のちにアーマーの大主教となったアシャー大主教と、18世紀にアイルランド自治議会を創設したヘンリー・グラタンが生まれたところ。





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