アイルランドの自然と人々



人 口
大飢饉の直前である1841年にはアイルランドの人口はアイルランド島全体で800万人であった。その後飢饉や疫病による死亡と大規模な移民による大幅な人口の減少があり、20世紀の初めには全体で450万人となった。
その後の人口の流出は止まず、1961年には最も少ない280万人を記録した。1961年以降、人口は少しずつ増加し1981年から86年までの人口の年間平均伸び率は0.6%になった。
1999年の調査では共和国の総人口は3,744,700人、1881年以来最も多い数値であった。

急激な経済成長の結果として近年他国からの移住が増加傾向にある。人口予測では2011年には420万人に達すると考えられている。(1997年には海外から15,000人の移住を記録した
。これは1970年代から最も高い数値。)

人口の約60%が1,000人以上の市あるいは村に住む。国全体の人口密度は1平方キロメートルあたり52人、地方によってさまざまで、東から南の地方の人口密度は最も高く西部地方は低い。
年齢別の人口比率がもっとも高いのは低年齢層で、人口の約40%が25歳以下、約24%が15歳以下である。
アイルランドの出生率は2004年で1.87%。
アイルランド共和国の人口(2004年7月):3,969,558人
(北アイルランド1,686,OOO人を含めるとアイルランド全土の人口:およそ5,655,OOO人)

主要都市の人口:
ダブリン/ 953,000人
(郊外を含めると1,122,600人)、
コーク/180,000人
リムリック/79,000人
ゴルウェイ/57,000人
ウォーターフォード/44,000人
ダンダーク/30,000人


アイルランド人の民族構成
アイルランド人はケルト民族と一般に言われるが、ケルトは言語や文化においてアイルランドに深く影響を与えたもので、民族としては、ケルト、バイキング、アングロサクソン、ノルマンなどが今日のアイルランド人を構成している。

ケルト族がアイルランド島に渡来するずっと以前の紀元前7,000年の中石器時代にはすでに、スコットランドから渡ってきた狩猟民族(ピクト人)が海沿いや川沿いの地方に住んでいたと言われている。ケルト族は拡大するローマ帝国や中央ヨーロッパのゲルマン民族に追われるように大陸の西へ西へと移動し、紀元前6世紀から前5世紀ごろに数回に渡ってアイルランド島へやってきた。5世紀のキリスト教の伝来のころまでにアイルランドの人口はおよそ25万人に及んでいたと考えられる。8世紀の終わりごろには、スカンジナビア半島やデンマークからバイキングがつぎつぎと渡来し、ダブリンやウォーターフォードなどの町を築いて定住し、やがてケルト人と融合していった。続いて12世紀にはウェールズからアングロノルマン人がアイルランドの王による覇権争いをきっかけに渡来、以降イギリスの植民地支配が始まり、16世紀から17世紀には北アイルランドを中心にスコットランドやイギリスの西部地方からの大がかりな入植が行われた。18世紀の初めごろまでには人口のおよそ2百万のおそらく4分の1が、イギリス、ウェールズ、スコットランド系であった。
アイルランドには、トラベリングピープル(Travelling People)と呼ばれる、定住地を持つことを好まない民族も暮らしている。トラックとキャラバンに乗り、さまざまな場所に移動をしながら、主にくず金属を売買しながら生計をたてている。数は不確かであるが数千家族と言われている。起源は定かではないが、行商人などのグループの子孫や、古い時代のバード(吟遊詩人)の子孫ではないかという説がある。1960年代の初めまでは現在のキャンピングカーではなく、馬で引くキャラバンで生活し、服そう、特に女性はラシャのスカーフを頭から肩までおおう独自のものだったという。言葉もシェルタ(Shelta)という特殊なものを話していた。定住地を持たない事を誇りにしてきた人々ではあったが、最近では生活パターンも変わりつつあり民族色も序々に薄れ、定住する傾向にあるそうだ。


アイルランド語(ゲール語)
アイルランド憲法第8条で、アイルランドの言語であるアイルランド語が第一公用語、英語は第二公用語と定められている。しかし、大半の地方で英語が日常で用いられ、アイルランド語を使用しているのは限られた地域のみとなっている。

<アイルランド語の歴史>
アイルランド語は紀元前6世紀から前5世紀のケルト人の大移動のある時期にアイルランドにもたらされたケルト語から進化したものでインド・ヨーロッパ語族(ゲルマン語派:英語、ドイツ語など/やロマンス語派:フランス語、イタリア語など)に含まれるケルト語派(スコットランド語、ウェールズ語、コーンウォール語、ブルトン語、消滅したマン島語)のうちゴイデル語群
*1に属する。6世紀ごろにはケルト語の変化した古代アイルランド語が使われていたことを示す資料が残されている。
バイキング(800年ごろ)やアングロノルマン人の植民地化(1169年以降)によって、それぞれの言語が導入されたが、やがてケルト人と融合し、アイルランド語は16世紀の始めまでほとんどの地域で使われていた。

●英語化
16世紀中ごろから17世紀にかけて次々と起こったイギリスとの戦いによってアイルランドの貴族や地主が敗れ、明け渡した土地にイギリス人の入植が大規模に行なわれた。さらに 刑罰法(1695年/Penal Laws)によりカトリック教徒の社会的権利が大幅に奪われ、アイルランドの文化や言語が制限され徐々に失われていった。18世紀中ごろ、刑罰法が緩和されアイルランド人にも経済活動の機会が与えられた時、アイルランド人の中産階級は、商売や取引きなどさまざまな交渉を有利に進めるために英語を用いるようになり、やがてアイルランド語は貧困と地方労働者の象徴となった。1831年には国立学校において授業を英語で行なうことが決められ、以来英語が急速に普及した。さらに大飢饉(1845年〜1847年)によっても多数のアイルランド語圏の人々が亡くなったり海外へ移住をしていった。1835年には人口のおよそ半分がアイルランド語を使っていたが、1851年にはおよそ4分の1に減り、1911年には8分の1となった。

●ゲーリックリバイバル
19世紀末からアイルランド文芸復興などの民族運動が盛んになり、1893年、ダグラス・ハイドが中心となりゲール同盟を設立、アイルランド語を復活させ、ケルトの文化を取り戻す運動(Conradh na Gaeilge)が各地で活発になった。この運動はやがて多くの民族主義者に影響を与え、1922年のアイルランド自由国の設立のきっかけともなる。



アイルランド語を現在も日常で使用する地域をゲールタクト(Gaeltacht)と呼び、特に西部の海岸地方に多い(ドネゴール、メイヨー、ゴルウェイ、ケリー、コーク、ウォーターフォード、ミースの一部分)。1996年の調査では、ゲールタクトの人口はおよそ60,000人、この数字は減少傾向にあるが、他方、同じ調査でダブリンなど他の地域において43%の人がアイルランド語を話せると回答した。

英語が世界で通用する言語であり、アイルランド語の普及は難しいが、アイルランド語の保存と促進のため、国はさまざまな対策を講じている。義務教育では必須科目で、教科の一部をアイルランド語で行なうこともある。また、ゲールタクトの福祉援助やアイルランド語で授業を行なう小学校や中学校の設立に特別予算を提供している。大学レベルではゴルウェイ国立大学においてアイルランド語の促進に力を入れている。
現在アイルランド語の新聞(週刊)が2紙(La と Foinse)発行され、またアイルランド語による国営のテレビ放送(1996年から「Telefis na Gaeilge」)とラジオ放送(1972年からアイルランド語放送「Raidlo na Gaeltachta」)がアイルランド語の普及に努めている。特に「Telefis na Gaeilge」は独創的なプログラムと若者志向の番組を通して、アイルランド語に慣れ親しむ試みを成功させている。
また、民間レベルでもアイルランドの言語を保存する組織も活動している(Gael Linn/Conradh na Gaeilge/Raidio na Life/Comhdhail Naisiunta na Gaeilge)。





*1-スコットランド語、マン島語がゴイデル語群に属し、アイルランドから渡ったケルト人が伝えた。ウェールズ語、コーンウォール語、ブルトン語はブリトン語群に属する。






オガム文字(Ogham Script)
アイルランドの最初の文字と考えられている。直立の石に刻まれ、4世紀から7世紀の間に使われていた。ラテン語のアルファベットに関連があり、それが一般化するキリスト教の伝来以前に吟遊詩人が用いたものであると考えられている。20の文字が、縦と横と斜めの線で構成され、下から上に読む。石に刻まれているものはほとんどが名前と日付けである。


海外のアイリッシュ
現在、アイルランド本国に住むアイルランド人よりはるかに多いアイリッシュ系住民が北アメリカやオーストラリアで暮らし、その数はおよそ6千万人と言われている。*1
アイリッシュ系の人々が世界に及ぼした文化的、政治的影響は測り知れない。

世界にアイリッシュ系が多い主な理由は、イギリス支配による宗教迫害や、19世紀にアイルランド全土を襲った主食のじゃがいもの胴枯れ病による大飢饉で、延べ5百万人がアイルランドを離れ海外に移住をしていった。あるものは兵士として、またあるものは新天地に大きな夢を抱いて旅立ったが、ほとんどの人々は祖国に思いを残し、生きるためやむを得ず去って行った。貨物同然の長く苦しい航海を耐え、新しい土地で開拓者となった不屈のパワーはまさにアイリッシュ魂と言える。遠くアメリカやオーストラリアに渡った人々はほとんどが二度と故郷に戻ることはなかった。

<ヨーロッパ>
16世紀の宗教改革以降、多くのカトリック信者は度重なる迫害から逃れるため、大陸のヨーロッパのカトリックの国へと移り住んだ。新しい土地で神学校を設立し、多くの聖職者を各国へ送りだした。1603年のアルスター制圧、1649年のクロムウェルの侵攻以降もさらに多くの人々がアイルランドを離れた。1690年のプロテスタントの国王とカトリックの国王が覇権をめぐって戦った‘ボイン川の戦い’の際リムリックにおいて最後まで勇敢に戦った「ワイルドギース」と呼ばれた数千のアイルランド将兵は、勝利したプロテスタントのイギリス国王(ウィリアム三世)への忠誠を拒否して家族と共にフランスへ渡り、18世紀のフランス軍で誉れ高いアイルランド連隊として戦いに参加した。
*2

<イギリス>
1846年から1851年にアイルランドを襲った大飢饉の間にアメリカまで行くことができず、リバプールやグラスゴーに移り住んだ。
イギリスには今日アイリッシュ系の人が数百万人以上いると推定される。ロンドンにはアイリッシュコミュニティもあり、多くのアイリッシュ系イギリス人はアイルランド人としてのアイデンティティを強く持ち続けている。18世紀から19世紀にはイギリスへ農業や運河などの建築作業員として出稼ぎに行く人も多かった。元首相のマーガレット・サッチャーは1811年にケンメアから移住したキャサリン・サリバンの子孫である。

<アメリカ合衆国・カナダ>
北アメリカへの最初の大規模な移住は18世紀の初め、ほとんどがアルスター地方の長老派会員(アルスタースコット/スコットアイリッシュ
*3)で宗教的迫害から逃れるため、新天地へ夢を抱き、一家全員で海を渡った。スコットアイリッシュは数の上で圧倒的に多かったので、アメリカ独立戦争では多大な貢献をし、アメリカ独立宣言の署名者のうち4人がアイルランド生まれ、さらに9人がアイリッシュ系であった(プリンストン大学は長老派の設立による大学でその初代学長ウィザースプーンはアメリカ独立宣言に署名した唯一の牧師。)。また西へ西へと開拓を進め鉄道を引き、教育においても影響を与えるなどアメリカの国づくりの基礎を築いた。

次に19世紀後半、アイルランド全土を襲った主食のじゃがいもの胴枯れ病による大飢饉で、この半世紀の間におよそ4百万の人々が北アメリカへ移り住んだ。合衆国全体に散らばっていったが、特にボストン、ニューヨーク、フィラデルフィア、シカゴ、サンフランシスコにおいてはその組織力を発揮しアメリカの政治に顕著な功績を残した。合衆国元大統領ジョン・F・ケネディーやリチャード・M・ニクソン、ロナルド・レーガン、ウィリアム・ジェファーソン・クリントン他に代表されるように、多くのアメリカの著名な政治家がアイリッシュ系である。
現在もカリフォルニア州 、ニューヨーク州 、マサチューセッツ州とペンシルベニア州にアイリッシュ系が多く、大きなアイリッシュコミュニティを形成している。

カナダにおいては1867年までにアイリッシュ系の人々がカナダの人口の20%以上を構成し、イギリス系とフランス系カナダ人よりも数でまさった。トーマス・ダーシー・マクギーやブライアン・マルロニー首相などがアイリッシュ系。

<オーストラリア>
1778年以降オーストラリアで開拓と入植が始まり、アイルランド人は土地の開発の他、政治、労働組合、教会、教育、文学、法律、薬、スポーツ
*4においてオーストラリアのアイデンティティーの確立に大きな役割を果たした。また19世紀の大飢饉の際、主にマンスター地方から、ニューサウスウェールズ州、ビクトリア州、 クィーンズランド州に多く移り住んだ。1929年から49年までのオーストラリアの7人の首相のうち6人はアイリッシュ系で、現在オーストラリアの人口のおよそ30%を占める。

<ニュージーランド>
ニュージーランドの開発にもアイルランド人の貢献が大きい。現在ニュージーランドの人口のおよそ15%がアイリッシュ系と推定される。ニュージーランドの最初の首相、ジョン・エドワード・フィッツジェラルドはアイルランド生まれであった。ニュージーランドの近代国家を設立したワイタンギ条約(Treaty of Waitangi)に署名したキャプテン・ホブソンはウォーターフォード出身。
アイルランドは過去200年間、ヨーロッパの国の中で移住率が最も高い国であった。20世紀の後半まで高学歴の若者が仕事を求めてイギリスやアメリカ合衆国へ次々と移住し(“ブレイン・ドレイン”)、このことがアイルランドの大きな社会問題であった。しかし1990年代以降、経済が好調になるにつれその数は減り、逆に海外で経験を積んだアイルランド人がどんどんと帰国して、さまざまな分野で活躍するという状態に変わり、アイルランドの好景気の一因となっている。
今日では海外から仕事をアイルランドに仕事を求めやってくる労働者も多い。



*1-アイリッシュ系のアメリカ人/4千万人、カナダ人/5百万人、オーストラリア人/5百万人、イギリス/数百万人。






*2-ヨーロッパの西海岸に移り住んだアイルランド人で最も有名な商人はコーク出身のリチャード・ヘネシー(Richard Henncssy)でヘネシーコニャックの会社を設立した。





*3-17世紀にスコットランドから北アイルランドのアルスター地方に移り住んだ人々の子孫
























*4-オーストラリアで人気のあるオーストラリアサッカーはゲーリックフットボールが紀元であると考えられている。1984年にはルールを統一したアイルランド対オーストラリアの国際大会が開始された。







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