アイルランド語文学



初期キリスト教時代
6世紀から9世紀までアイルランドは、キリスト教と学問の黄金時代であった。古典ゲール語の資料で現存するものは詩、伝説、宗教に関する書物、評論文、ラテン語の文法書など多岐にわたる。ヨーロッパアルプスより北の地方に各国語で存在する初期のころの文学はアイルランドの修道院で学んだ学者達によって創作されたものである。修道院の写字生たちは、自分の国の古い伝承や詩を文字に残す仕事に没頭した。初期口承伝説の時代から12世紀中ごろまでアイルランドの文学は、封建制度の盛んな時代に貴族を楽しませるものとして興り、フィーリと呼ばれる詩人たちの手にゆだねられていた。フィーリは社会的な特権をもち、その職務は叙事物語や主家の系図を覚え、支配者をほめたたえる詩を作ることであった。しかし最もすぐれたものは自然詩であり、ヨーロッパでは他に匹敵するものをもたない。アイルランド教会の厳格で禁欲的な教義のため、自然に親しみ、自然を神聖なものとして崇め、宗教的な情熱と自然の美に対する感性がみごとに融合した詩が多く書かれたのである。

アイルランド島にわたったケルト人の神話は、吟遊詩人たちにロ承によって伝えられたものが7世紀から12世紀の間に現在のような形になったが、それらはアイルランドに渡来した聖パトリックと修道師たちの筆写による古文献として残っている。おもな古書としては10世紀の<侵略の書>、12世紀の<レンスターの書>、14世紀の<バリモートの書>などである。<侵略の書>によれば紀元前1,500年ごろ相次いで5部族がアイルランド島に渡来したと伝えられ、各部族の戦いによる支配交代の歴史が古代神話を形つくっている。さらにその部族の物語が神格化され、これらの神々にまつわる話がさまざまに伝えられ妖精伝説や英雄伝説につながっていった。代表的なアイルランドの英雄神話は以下の2つの系列にわけられる。


アルスター伝説群・フィニア伝説群
【アルスター伝説群】
1世紀ころのアルスターを中心にコンホバル・マクニエッサ王に仕えた英雄クーホリンたちの英雄神話がアルスター伝説群である。史実性の問題は別として当時のアイルランドの社会構造や生活様式を知る上で貴重な資料となる。アルスターの王コノハー、若き戦士クーホリン、コンノート(コナハト)の女王メイブ、宿命的な恋人ニーシアとディアドラなどは、古代アイルランド文学に現れる有名な人物である。この伝説群のなかに、叙事詩『クーリーの牛争い』、『マック・ダホーの豚の物語』などの英雄物語がある。『クーリーの牛争い』は、女王メイブが魔力をもったクーリーの牡牛を手に入れようとして、アルスターヘ兵を率いて攻め入り、若く雄々しいクーホリンがたった一人で国を守る大活躍をうたった物語詩である。この詩の中のエピソードには劇的なものもいくつかあり、生き生きとした戦闘場面の描写や若きクーホリンを語った部分は最も精彩を放っている。

アイルランドのスタンディッシュ・J・オグレディ(1846〜1928)が<アイルランド史>の中で集成したアルスター伝説群は、19世紀のイエーツ、グレゴリー夫人、シングなどの文学者を感化し、神話を題材にしたさまざまな作品が生まれ、アイルランド文芸復興運動につながる直接のきっかけとなった。

【フィニア伝説群】
3世紀の伝説の英雄フィン・マックール王とそれに仕えるフィアナ騎士団の物語がフィニア伝説群である。フィンを扱った文献は8世紀から9世紀にすでに見られたが、最初にフィンとオーシンを主題にした現存する物語は伝説群中の最高傑作といわれる12世紀後半の『老人たちの説和』である。ここでは、オーシンとキィルタが戦いに生残ったとされ、異教徒の2人が聖パトリックのアイルランドの布教の旅に同行し、訪れる先々の地名の由来やさまざまな冒険談を聖パトリックに説明する。フィンやオーシンの物語は18世紀までつづき、のちの詩や散文に題材を提供した。フィニア伝説群の物語は、アルスター説話群ほど忠実に保存されず、そして古い形式のものは、散文の物語とバラッド(民謡)に取って代られた。

イギリスの詩人ジェ−ムズ・マクファーソン(1736〜1796)は、のちにこれらのバラッドに基づいて、フィンやオーシンをうたった『オシアンの詩』(1762〜1763)を書いて、各国の詩人作家たちに影響を与えた。

この時代のアイルランド文学はのちのヨーロッパ文学に影響を与えた。アーサー王伝説の中のトリスタンとイソルデのような悲劇の恋愛物語は、ディルムッドとグラーニャの物語などのようなアイルランドの伝説が起源である。また幻想的な旅物語にも類似が見られる。


12世紀から17世紀
12世紀以降は、世襲の吟遊詩人(バード)がアイルランドの文学を伝えるようになり、その職務はアイルランドがイギリスに征服されるまで続いた。宮廷の吟遊詩人の詩はほとんどがアイルランドの王たちの壮麗さをほめたたえるものであった。

12世紀から17世紀の詩作品はより現代に近い標準的な言語を用いて創作されたのが特徴である。これはフィーリなどの職業詩人や問弟などが維持する文学学校でおもに形作られた。職業詩人たちの詩の構成においてもこの時代から現存する文学の基本部分を成立させた。特に民謡は、吟遊詩人の詩法を極端に単純化して、テーマも一般向きなものとした。ここでゲール語の文学が、初めて一般の人々のものとなったといえる。15世紀になると、ヨーロッパでは印刷術が発達し、文学は一般の人々にも広まったがアイルランドでは都市の開発が遅れたため、印刷術の導人は大幅に遅れ、そのため文学は、貴族や上流階級のわずかな人々の手にゆだねられたままであった。

この時代の著名な詩人は、職業詩人の伝統を維持しようと努め、変わり行くアイルランド社会の悲しみを表現したDaibhi O Bruadair(1625ー1698)、またアイルランド貴族の最も偉大な詩人として知られているオーガン・オラテイル(1670〜1728)は最後の伝統的な職業詩人であった。


17世紀以降
17世紀中頃にいたって、イギリスの支配は決定的なものとなった。特に1649年のクロムウエルの侵攻以降ゲール語で書かれた書物の弾圧が厳しくなっていった。吟遊詩人は姿を消し、ゲール語自体が徐々に衰退の道をたどることになった。17世紀全体にわたる詩風は、新しい政権に対する激しい反抗によって貫かれ、そこには、初めて共通した愛国心の表現がみられた。この愛国心は、個人に対する忠誠というよりは、抽象的な理想に対する献身という意味に考えられるもので、そのような愛国の精神は、アイルランドのその後の歴史のなかで、かなり重要な意味をもつものとなる。しかし17世紀を通じて文学的伝統は継承され、今日でははかり知れない価値をもつ数多くの散文作品が生み出された。それらは伝説を題材としたもので、当時の文人たちは、今日すでに散逸してしまった多くの資料を利用することができたのである。また一方、グフィン説話群や内外のロマンスのテーマを発展させた一般受けのする故文の物語もあった。

18世紀に貴族文学者が支援を完全に断ち切られたあともアイルランド文学は聖職者、農夫、工芸家、教師達によって創作活動は続けられた。これらの人々は入念に手書きの原稿の伝統を守り地方や個人の詩や説教、宗教にまつわる書物、または物語散文を創作した。逆風の時代でありながら、勤勉で熱心な文学者はアイルランド文学を保存し育成するために努力した。

しかし19世紀の初めにアイルランドの文学的伝統は転機となったといえる。ここで言う“伝統”は文学の概念やテーマ、ゲール語の作詩の特徴となる詩の文体を意味する。ゲール語人口はいやおうなく減少し、19世紀中頃までアイルランド文学の衰退は明らかであった。


ゲール語復典運動−19世紀末から現代
アイルランドの独立運動と民族運動の気運の中で1893年にダグラス・ハイドやスティーブン・マッケンナが中心となってゲール語同盟が結成された。国家精神の復興のため衰退しかけていたアイルランドの言語の復活やアイルランドの民話を見直し、ゲール語での出版を目的とした。ようやく20世紀なかばまでにゲール語の標準が整い、アイルランド文学の読者も拡大し、新しい世代のゲール語文学者も現われた。トモース・オクリフィン(1856〜1937)は、ムンスター地方の漁師の生活を扱った『島の男』(1934)という作品を書いたが、これは独特な記録文学である。短篇小説では、リアム・オフレアティ(1897〜1984)やモルティン・オカイーエン(1906〜1970)など。オカイーエンの長篇小説『基地の上』(1949)は、田園生活を描いた力作である。ブレンダン・ベーハン(1923〜1964)は、戯曲『アン・ギアル』で成功し、これは1958年に『人質』と題して英訳された。詩人では、モィラ・ウァッグ・アンティ−、マーチン・オーディロン、ショ−ン・オリオダンなどが注目される。

アイルランド文芸復興とゲール語同盟は自国アイルランドの伝統を守ることに費やされたが、20世紀まで受け継がれたゲール語の豊富な口承伝説の正当な評価にもつながった。結果として多くのすばらしい物語や資料が記録として残され、ダブリン大学のアイルランド民族局に保管されている。多くの文献は編集され出版された。

詩は最も多く英語に翻訳されたので、結果として英語文学の伝統に同化することにもっとも抵抗したといえる。ほとんどの人々はこの翻訳でしかこれらの詩作品を鑑賞することが出来ないがゲール語の詩作品はこの国の現代の文学的伝統の中心的役割を担っている。



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